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登城ルート修景案(2)

修景提案編

では早速修景を行う。ここでは景観形成のポイントとなる個所として、

1)簡易裁判所わき
2)小石垣門跡
3)二之町通りの交差点
4)山麓へ向かう市道「お城山線」

…の4箇所を抽出し、修景案を提案する。なお、重点修景区域であることを積極的にアピールするため、ここでは共通の意匠として路面舗装に土色のアスファルトを使用する。これは見栄えの問題のみならず、町歩きのモデルコースを歩行者に分かりやすく示すことにもつながろう。ちなみに、今回の修景ルートのほとんどは市道にあたる。

■簡易裁判所わき

中央公民館の裏手にあたり、江戸時代後期には道路の右手には藩校の克従館とそれに付随する長屋が、左手には家老の脇田蔵人の屋敷が構えられていた。流石にこれらの大建築の復元はナンセンスなので、ここでは周辺の環境整備により、武家地っぽい景観を全体的に演出できれば良しとする。

以上の前提に立ったとき、何より問題になるのは左手に見える簡易裁判所のブロック塀である。板塀や土塀にするという手もあるが、幸いにも塀と道路の間には1mほどのスペースが残されている。よって、これを杉生垣を植え込むスペースに充てた。手間としてはわずかであるが、驚くほど見栄えが良くなった。

それにしても、景観整備を進める行政サイドの建物が景観阻害要因になっていては元も子もない。率先して修景努力の範を示して欲しいものだ。

■小石垣門跡

現在はゆるい坂道となっているが、往時は二ノ丸と三ノ丸を画する外郭門の一つ、小石垣門がそびえていた。地権者の方が気を利かせているのか、道路右手には転用石材を利用したと思しき石垣・塀が築かれており「門跡」がそれとなく感じられる景観にはなっている。また、写真ではよく見えないが、坂を上りきったあたりの道路左手には、生垣が続く小路「御蔵小路」が残り、良い景観を形作っている。

よってここでは、道路左右の景観統一度を上げることを目的に、左手の家並みのブロック塀を簡易工法で板塀化する…と想定した。路面舗装のカラー化と合わせることで、それなりに落ち着きのある景観とすることができよう。アイストップの位置にある物置が若干周囲の色彩から浮いている感じがするが、本格的な建物にするのは現実的ではないので、ここではアースカラーの塗装を上塗りすることとした。なお、小石垣門の旧石材は結構そのへんの庭先に転がっていたりするようなので、より気合いを入れた修景を施すとすれば、塀の基壇を石垣化するなどの方法も選択肢としてはあるだろう。

■二之町通りの交差点

小石垣門の坂を過ぎると二之町の通りに突き当たる。右に示したのはこの通りから城山へと向かう交差点である。正面の小路に進めば城山に到るが、今のままでは「この先に城がある」という期待感の演出は難しい。

というわけで、ここでも板塀、杉生垣の再生をメインに修景を試みる。撤去が難しいブロック塀については、黒色に塗装した板を打ち付け、可能な部分については生垣を再生するものとした。また、アイストップの位置には車庫が構えてあるが、これについても板張りの外壁で覆い、シャッターもアースカラーのものにした。

さて、ここでも路面舗装の色を変えているが、こうした交差点でこそこの取り組みは威力を発揮する。というのも、積極的に手をかけているルートであることを暗に示すことで、現地の地理に不案内な観光客が道に迷うのを事前に防止できるからだ。街路が複雑な城下町において、この種の配慮は欠かせないもののはずだ。

■市道「お城山線」

城山直下の通りである。城下の奥座敷とも呼べる立地だけに、かつては上級家臣の屋敷が重点的に配置されていた。大身の屋敷については、生垣の代わりに長屋を立ち並べた屋敷も多かったようだが、現在はそれらの遺構は皆無である。

さて、このような歴史的経緯をふまえると、この地点においては、生垣+板塀の修景のほかに、上級家臣地であることを示す、長屋や門といった景観要素の復元が求められると考える。さすがに無意味にそれらの建造物を復元するのは無謀なので、例えば、車庫の立て替えの際に、景観に配慮したデザインを採用する…といった取り組みが現実的であろう。

一方、この通りは旧武家地にしては珍しく、途中で屈曲などもなく一直線に伸びていく。塀や生垣、建物の軒高をあわせる配慮が、他の地域にも増して重要になろう。

自発努力だけをアテにして可能なのか?

さて、以上4地点での修景案を示したが、どうであっただろうか? 塀や生垣といった小さな景観要素の積み重ねが、かなりの修景効果を発揮することを実感していただければ幸いである。

だが、その一方では問題点もまた明らかになったのではあるまいか。というのも、前述のように、今回取り上げた地域には行政サイドの支援がある。少なくとも多少の資金とやる気があれば、ここにあげた程度の修景を実行するのは容易なはずだ。この点は、行政的な金銭補助が一切ない町家地区よりもはるかに恵まれた条件と言える。

しかし実際には、修景されたブロック塀や生垣は、今のところほとんど見当たらない。また、2004年末には、個人宅として残存していた武家屋敷1棟が、維持管理の困難さを理由に失われてしまった。景観形成に向けた政策誘導として見た場合、現行制度の限界は明らかである。

このへんは、住民の意識の問題もあり、政策の巧拙のみを云々する問題ではないだろう。しかし、個々の住宅単位での自助努力をベースにする限り、劇的な景観向上が図られることはまずなさそうである。

住民がヨコの連帯組織を作り、面的な景観整備へと動くのか、あるいは行政側が主導して「街路整備事業」等の名目をつけて修景を施すのか。今後の動きが注目される。  

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