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新発田オフ 阿賀北同盟 仮事務室

阿賀北同盟 第二回オフ会「新発田オフ」概要

新発田オフ 地図

実施日:2004.08.12
参加者:雨順斎・ウモ・Shin・ワタナベ
見学地:新発田城、新発田自衛隊駐屯地、清水園、新発田藩足軽長屋、五十野城、池ノ端城

ウモ殿を新メンバーに加え、兵力を増強した阿賀北同盟。第二回オフは、溝口10万石の城下町・新発田市周辺の史跡めぐりです。残念ながらkitaさんが参加できませんでしたが、また次回にどこぞの山野で会いましょう。
(執筆者:ワタナベ)

集合!(午後0:30)

今回のオフはお盆休みを利用したため、一斉に集合することができませんでした。というわけで、Shin殿が運転するミニバンにみんなで便乗です。村上で雨順斎殿、黒川でウモ殿を拾い、東京から直行のワタナベが最後に新発田駅で合流です。なお、この車は今日から「阿賀北同盟専用車両になる」(雨順斎殿談)らしいです。

予定をまず確認すると、本日のメイン新発田城へ直行します。再建なった御三階櫓、辰巳櫓などを見学した後、城内にある自衛隊駐屯地を見学。その後は新発田藩の下屋敷である清水園、足軽長屋を見学し、余力があれば付近の中世城郭を見学します。なお、コースの最後には、ライトアップされた新発田城というオマケつきです。

なんだか普通の観光コースみたいですが、まあたまにはこんなのがあってもいいんじゃない??(終わってみればあまり普通じゃなかったけど…)

新発田城(午後0:30~1:30)

新発田オフ 新発田城前にて

再建なったばかりの三階櫓をバックに、とりあえずは記念撮影をする阿賀北衆。左からウモ殿、雨順斎殿、ワシ、Shin殿です。家族連れやカップルが多い中、野郎4人の記念撮影はかなり目立ちます。

現在残る新発田城は、1597年に入封した溝口秀勝によって基本的な縄張りが定められました。以後、何度も火災に見舞われつつもその都度再建され、明治に至ります。維新以降は土地のほとんどが陸軍に摂取されますが、本丸表門と二ノ丸隅櫓は当時のまま残り、いずれも国の重要文化財に指定されました。今年はさらに2棟の櫓が再建され、城址公園として面目を一新しています。 詳しくはウモ殿の「埋もれた古城」を見てください。

三階櫓の写真を撮りつつ、あーだこーだと城談義をはじめる阿賀北衆の面々…。城オタの本領発揮です。この三階櫓、T字型の屋根の上に3つの鯱を上げる、非常にユニークな形状です。

こちらも再建されたばかりの辰巳櫓。他の櫓が、壁面に瓦を貼り付けた海鼠壁なのに対し、この櫓は総塗込の外観です。大きな出窓がアクセントになり、実際の大きさ以上の重量感を感ます。

こちらは江戸期のオリジナルが残る本丸表門。同じくオリジナルが残る二ノ丸隅櫓、再建された辰巳櫓とともに、内部を無料公開しています。三階櫓は残念ながら非公開です。

自衛隊新発田駐屯地(午後1:30~3:15)

ここからはスペシャルコースということで、新発田城跡の大部分を占める、自衛隊新発田駐屯地に突入します。通常は立ち入れませんが、ウモ殿が事前に見学申請してくれたおかげで中に入れました。

なぜかここでも写真を取りまくる一同。警備の自衛隊員からもかなり怪しまれています。Shinさんがブロックに登って撮ったカットは一体なんだったのでしょう??

敷地内には堀や土塁の痕跡が部分的に見られるほか、明治時代に建てられた旧軍の兵舎なども残っています。自衛隊の広報官の方も、非常に丁寧に解説してくださいました。

白壁兵舎

まず、一行が向かったのは、陸軍の兵営として建設された、通称「白壁兵舎」という建物です。明治7年に建てられたというこの建物、現存する旧軍関連施設の中では最古級の部類だそうです。そのため、映画「八甲田山」のロケにまで使われたそうで、我々を案内してくれた広報官の方も、エキストラで出演したとか。

白壁兵舎資料館

建物の内部はちょっとした資料館になっており、幕末の新発田藩士が身に付けていた具足や、隊員の方が製作した新発田城の模型なんぞも置いてありました。
また、旧軍・自衛隊関連の展示も豊富で、南方から引き上げてきた重機関銃や、米軍が投下した航空爆弾、戦後の国産戦車第一号となった61式戦車の実車なんぞも置いてあります。中世揚北つながりで集ったこのメンバー、実は結構な軍事オタクだったりもするんですな~。なんだかアブナイ集団度がUPした気がするぞ…。

自衛隊敷地で城攻め??

白壁兵舎を出た後は、敷地内に残された新発田城の痕跡を探ります。古絵図と照らし合わせてみると、駐車場の区画のカタチなんかに、かつての堀や土塁のラインが結構一致するんですな~。

こうなると妄想に歯止めがかかりません。「これは堀跡にちがいない」「土塁発見!!」と、次々に遺構を「断定」していく阿賀北衆の面々。頭の中では、多分こんな景観が見えています。でも、土塁と断定した土盛りが、後世の野球場の土手だったりと、結構危なっかしいのでありました。それにしても、現代の軍用車とお城が同じ構図に入るってのも、なんだかシュールです。

一方、三階櫓に一番近づけるのも自衛隊の敷地内だったりします。水堀が埋められてしまっているので、それこそ櫓の真下まで近づけるのです。というわけで、「石落しを下から撮る」なんて離れ業も余裕でこなせます。「フフフ、このアングルはなかなか撮れまい!」。とばかりに、櫓の直下に突撃するウモ殿。建物の大きさが良く分かりますね。

清水園~足軽長屋(午後3:30~4:30)

駐屯地を出て、再び櫓の中などを見学した後は、新発田藩主の下屋敷の遺構「清水園」と、付近の武家屋敷・足軽長屋の見学に向かいます。

清水園

清水園は、全国的にも数少ない大名庭園の遺構で、国の名勝にも指定されています。京都の有名寺社の庭園のように、広大な園池を中心にした回遊式庭園が営まれています。身近なところにこんなモノがあったとは…。全く盲点でした。

庭園内には御茶屋や門、下屋敷など、江戸期の建築物もしっかり残っています。藩主の私的なくつろぎの場にふさわしく、屋敷の内装は「豪勢」というよりは「瀟洒」なもの。溝口家の家紋「掻摺菱」がさりげなく欄間にあしらわれていたりと、細部まで趣向を凝らしています。

石黒邸・足軽長屋

清水園の隣には、70石取りの新発田藩士の武家屋敷「石黒邸」が移築されています。「田舎のじいちゃんの家みたい」(ウモ殿談)という例えがぴったりな、落ち着いた意匠のお屋敷でした。

清水園の隣には、水路を隔てて下級藩士が暮らした足軽長屋が残っています。50mはあろうかという長大な建物ですが、内部は8世帯分に細分化されています。往時は下級藩士とその家族がひしめきあって暮らしていたのでしょう。官舎や社宅の住宅事情の悪さは、今も昔も変わらないようですな~。

それにしても驚いたのは、軒高の低さ。玄関のあたりなんか1.6メートルほどしかありません。「昔の人はちいさかったんだねぇ」と、いまさらながら感慨にふける一同でした。中には未だに暮らす足軽の末裔が…??

中世城郭めぐりへ!(午後4:45~5:45)

 さて、一通りの予定を終えた我々。欲張って、歴史資料が展示されている「ふるさと会館」という博物館も見ようと思いましたが、残念ながら閉館時間に間に合いませんでした。しかしながら、新発田城の夜景をおがむまでには、まだかなりの時間があります。というわけで、しばし今後の予定について打ち合わせです。当然のごとく「付近の中世城郭を攻めよう」ということで意見は一致しますが、なにせ藪のひどい夏場のこと。ある程度整備が行き届いている城でなければ、夏装備で来てしまった今日はちと厳しそうです。と、そのとき雨順斎殿が一言

「五十野城なら夏場でも涼しいべ」

…そういや昼間っから外ばっかだな…。どうせ行くなら確かに涼しいほうがいいかも…。というわけで、雨順斎殿の記憶を頼りに、付近の中世山城・五十野城を目指しました。

五十野城

世間ではあまり知られていない五十野城ですが、中世揚北史を彩る「新発田重家の乱」の舞台ともなった由緒ある城跡です。既に攻略済みのウモ殿と雨順斎殿によれば、山城とは言っても案外こじんまりとしたお城とのこと。確かに見た感じでは、麓からの比高も3~40メートルくらいしかなさそうです。町歩き用の革靴を履いてきてしまったワシも、これでひとまず安心です。
手入れが行き届いているのか、夏場の割には、道もしっかりと残っていました。主廓の周囲には、城の規模には不釣合いに巨大な掘切の遺構や(右写真:堀底から見た主廓)、曲輪を取り巻く低い土塁が残っています。「五十野城跡」の巨大な石碑も、なかなかいい感じです。
…でも、全然涼しくないのは気のせいだろーか。

池ノ端城

再度涼しい城跡を探すべく(?)、ウモ殿の提案で付近の池ノ端城を目指します。こちらは中世の平城の遺構で、集落の中に、かつての堀跡や曲輪の地割が残存しています。
でも、マイナー城郭だけあって、シロウト目にはいまいちわかりにくい遺構です。例えば、左の写真の田んぼが、かつての堀跡だったなんて、詳しい人に指摘されなければ気づきません。このあたりは、中世城郭に詳しいウモ殿が本領発揮。次々に微地形から遺構の姿を読み解きます。
この後しばらく、ワシはなんでもない小山が土塁に、へこんだ土地は堀跡に見えてしょうがなかったっす。

マイナー城郭を堪能した後は、そのへんのファミレスで日が暮れるまで時間待ち。いよいよ最終目的地、新発田城の夜景を目指します。

再び新発田城(午後7:30)

さて、やってきました新発田城。もう詳しい説明はいらんでしょう。水堀に映える櫓の姿をとくとご覧あれ!

新発田オフ 新発田城夜景1 新発田オフ 新発田城夜景2 新発田オフ 新発田城夜景3 新発田オフ 新発田城夜景4

いやー、夜の城ってのも幻想的でいいですなー。普段なかなか見られないショットだけに、機会があったら皆様ぜひ写真に収めて頂きたいところです。ただ、夜中の撮影ゆえ手ブレには要注意。三脚持ってくるか、台になるようなものがないとちと辛いです。

これにて解散!(午後8:30)

短い時間ながら、新発田周辺の史跡散策を堪能した阿賀北衆の面々。再びShin殿が駆る「阿賀北カー」に乗り込みます。黒川でウモ殿と別れた後は、県北の村上までひた走って解散。ほぼ半日という限られた時間ながら、非常に得るところの大きかったオフ会となりました.

事前の日程調整、車の運転を買って出てくださったShin殿、徹夜明けにも関わらず参加してくださった雨順斎殿、そして、駐屯地の見学予約・遺構の解説等してくださったウモ殿、本当にお疲れ様でした。次回もまた、阿賀北の山野で会いましょう!

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