トップ 遺構概況

羽黒門跡

羽黒門跡
村上城 羽黒門跡 写真

■DATA

残存物:-
残存度:-
藪化度:-

牛沢口ルート最初の関門

外部から村上城下に入るルートはいくつかあるが、城山のすぐ麓にある牛沢口を経由するルートは、町屋地区をほとんど通らずに城郭中心部に到達できる、一種の「裏口」であった。城下三ノ丸の東端に築かれた羽黒門は、その最初の関門として築かれた門である。

各種古記録から、門は8間×3間の櫓門と高麗門、そして多聞櫓を組み合わせた枡形門であったことが判明する。また、地形制約のため、その枡形は不等辺三角形を成していたらしく、『村上御城廓』には、枡形周囲の多聞櫓が「菱櫓」であったことが記されている。

内部面積を十分に確保できないこのような枡形では、「いざ出撃」となった場合に、十分な兵力を収容できない気もするが、この点は設計者も認識していたようである。というのも、羽黒門のすぐ後ろには、収容能力に優れた大きな枡形を持つ中ノ門が配されているからだ(右図参照)。いざ戦闘となった場合には、両門の緊密な連携を前提とした戦略が立てられていたはずである。

■明治元年の羽黒門周辺

大きな枡形を有する中ノ門と連携することで、出撃時の相互支援を図ったと思われる。(村上市所蔵「明治元年内藤候治城明治維新時代村上地図」)

発掘調査が行われたものの…

さて、肝心の遺構については、礎石、転用石材ともに皆無のようだ。特に2002年の道路工事の影響は大きく、それまで辛うじて小路になって残されていた枡形の痕跡すらも消え去ってしまった。

ただし、この道路工事に際しては、事前に入念な発掘調査が行わており、門周辺の堀の構造がかなりの程度明らかになっている。それによると、堀は幅7間の箱堀で、側壁の底部からは、梯子状の木組みの中に石つぶてを充填した土止め遺構が検出されている。また、堀底からは近世の陶磁器片などもかなり採取されたようで、城下住民の生活水準も一定度明らかになったらしい。それらは現在、市の教育委員会にて保管しているとのことである。

それにしても、遺構が破壊されることが決まってからようやく行われる発掘調査の在り方に、疑問を感じてしまうのは筆者だけではあるまい。遺構保存に積極的に役立つような発掘のあり方を模索する必要があろう。

(初稿:2004.08.22/2稿:2017.07.23)

村上市・羽黒口付近の景観

■武家地の風情を残す通り

羽黒門周辺にはかつての武家地の面影が色濃く残る。藩主菩提寺の光徳寺へ向かうこの通りも、両側に杉生垣が維持されている。