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抜け穴跡?

抜け穴跡?
村上城 抜け穴跡? 写真

■DATA

残存物:洞穴
残存度:?
藪化度:★★★

山腹に穿たれた謎の洞穴

多くの城跡と同様、ここ村上城にも抜け穴伝説が残っている。「本庄繁長が使っていた」「戊辰戦争時にも使われた」etc.の話が、地元では未だに語られているが、それらが風化せずに伝えられてきた背景には、伝説の根拠となる遺構(?)が残存していることが大きい。「抜け穴の出口」と伝えられる洞穴がそれである。

場所は旧居館から北に2、300mほど、山裾を巡る小道を進んだ臥牛山北麓にある。山腹の岩盤に2つの洞穴が並んで空いており、人工的に掘られた穴であることは間違いなさそうだ。残念ながらどちらの穴も、入り口から4,5m入ったあたりで、崩落のためか行き止まりとなっているようである。

なお、この穴については、抜け穴説のほか、藩政期の何らかの貯蔵施設の跡であるとする説や、堀の用水確保のために掘られた横井戸の痕跡、ないしは試掘坑であるという説、あるいは、太平洋戦争中に飛行機の地下工場を作るための試掘坑である…といった説(※)などもあるが、はっきりしたことはイマイチ不明である。

抜け穴(?)位置

■抜け穴位置

(国土地理院「地理院地図」に加筆)

(※)

横井戸説をとるものとして、大瀧雪邨「郷土随聞鈔」『郷土村上』(1973.08)。また、戦時中、村上で操業していた東京航空村上工場では、臥牛山地下への疎開が割と本気で考えられたらしい。

入口は臥牛山山頂の「丹後石」…らしい?

さて、抜け穴である以上、出口があれば入口もあるはずである。実は入口についても伝承があり、それによれば、臥牛山頂、本丸冠木門桝形にある丹後石こそ、抜け穴の入口なのだという。 丹後石とは、冠木門枡形に位置する、いわゆる「鏡石」(※)であるが、長軸2.7mを測るこの巨石を、果たしてどのように動かしたのか、伝説は教えてくれない。

2017年現在、村上市ではこの丹後石がはまっている本丸石垣に関しても、修復・積む直しを検討している。近々この石の周辺でも発掘調査が行われるはずなので、ひょっとすると近い将来、抜け穴発見の大ニュースが報じられる日がやってくる……わけないか。

(初稿:2004.01.28/2稿:2017.07.23)

村上城・冠木門桝形の「丹後石」

■丹後石

本丸冠木門枡形内にはめられたいわゆる「鏡石」。どうやって動かすのかは不明(笑)