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軍学用の城絵図について

軍学用の城絵図について

軍学研究用にも作成された城絵図

城郭について調べる際に、まず見たくなるのが江戸時代の城絵図です。建物の位置、曲輪の形状、堀、土塁の高さや幅など、丁寧に見れば結構色々なことが読み取れるのですが、中にはそうした詳細な城絵図とは一線を画する「ラフスケッチ」のような城絵図が散見されます。いわゆる「軍学」用に作成された城絵図です。

軍学とはその名の通り、江戸時代に流行した軍事戦略や戦術を研究する学問のことです。武家の素養として全国的に広く普及し、その過程では学習用の城絵図が数多く作られました。防御構造の把握に主眼が置かれるため、、、

・石垣、堀、土塁などは、割合きちんと描かれている
・屋敷割りや街路形状などの「非軍事要素」にはあまり関心が払われていない
・持ち運びの便のためか、長辺40cm前後くらいの小ぶりな絵図が多い

…といった特徴が見られます。中でも明和初年頃(1760年代)に山県大弐が編纂した『主図合結記』(とその写し)は広く流布し、ネットオークションなんかでも割とよく見かけます。

村上に在城したことのない大名家にも、この手の「軍学系」絵図は結構残っており、現在筆者が把握している範囲では、加賀前田家、岡山池田家、広島浅野家、臼杵稲葉家のコレクションのうちに「村上城絵図」が確認できます。今回はその中から、ネット上でも閲覧が可能な、加賀前田家、岡山池田家の絵図について詳しく見てみます。

金沢市立玉川図書館所蔵「越後本庄(村上)城図」

加賀前田家に伝わる「津田文庫」の「諸国居城之図集」に収められた絵図です。注記や凡例といった文字情報は記されていませんが、石垣・堀・土塁はもとより、武家屋敷地区と町屋地区を塗り分け、山地も美しく彩色するなど、軍学系絵図としてはかなり丁寧な作りです。

この絵図については、前田家の軍学者・有沢永貞によって、元禄5(1692)年に編纂されたことがわかっています。有沢永貞は著名な軍学者で「有沢流兵学」の祖となった人物。本絵図の作成に先立ち、各地の城郭の城主とその略伝を記した「諸城主記」も編纂しており、この絵図は、その付図としての性格が強いものだと思われます(※1)。今風に言えば「全国城郭カタログ」みたいな体で、藩主に献上された中の1枚です。

金沢市立玉川図書館所蔵「津田文庫」 越後本庄(村上)城図

岡山県立図書館蔵「越後国村上城図」

こちらは岡山の池田家に伝わる「池田家文庫」所収の「越後村上城図」です。街路や町割りを省き、防御施設のみを描くなど、軍学系絵図の特徴を非常によく示しています。軍事施設の描写は要点を押さえたものとなっており、郭配置の特徴や総構えの土塁・堀のラインはよく捉えられていると思います。

作者は行田式英。絵図の成立年代は「未詳」となっていますが、欄外に書き込まれた歴代城主の略歴(名前・石高などは結構いい加減であるが…)から、筆者としては天和~貞享(1681-1688)ごろの成立と推測します。

岡山県立図書館蔵 池田家文庫「越後国村上城図」


で、この絵図に関してはもう一つ興味深い点があります。それは、同じ池田家文書の中に、本図とそっくりな図面がもう2枚あることです(「越後国村上城図」/「越後岩船郡村上城之図」)。タッチも荒く、作者も未詳となっていますが、全体の描き方は非常によく似ています。前後関係は不明ながら、オリジナルの写しと見るのが妥当でしょう。

江戸時代には、軍学を学ぶ手法の一つとして、既存の城絵図を模写したり、それらをお抱えの軍学者に添削してもらう…といった学習法があったようです(※2)。この絵図も、そういった池田家中の修行(?)の成果物なのではないでしょうか? 江戸時代のお侍が、現在の城マニアと似たようなことに取り組んでいたと考えると、なんだか親近感を覚えてしまいます。

岡山県立図書館蔵 池田家文庫「越後岩船郡村上城之図」

元ネタは内閣公文書館「元和~寛永の城絵図」か?

今回取り上げた両家の城絵図。なんだか妙に似ていませんか? 堀、土塁のラインはもとより、河川の形状までそっくりなのは、偶然の一致ではないはずです。おそらく、共通の元図から書写されたか、あるいは両図が直接的なオリジナル/コピー関係にあるかのいずれかと考えられます。

こうした視点で先行する時代の城絵図を見直してみると、内閣公文書館所蔵「日本分国絵図 越後村上城図」が非常に似た絵柄であることがわかります。この絵図は、江戸のごく初期、元和~寛永期の堀家時代に成立したものと考えられています。これが元図だとすれば、天和~元禄期に制作された前田家、池田家の城絵図は、どうしたわけか、より新しい在地系城絵図ではなく、60年ほど古い時代の絵図を模写したことになります。

最新版絵図を入手することに難があったのか、あるいは、軍学のテキストとして重宝がられる何らかの理由があったのか? これらの成立プロセスを明らかにできれば、諸藩の軍学交流の軌跡や絵図の流通経路がより深く理解できるはずです。他の城絵図の情報も漁りつつ、このあたりのテーマについては追ってまた報告したいと思います。


(※1)菊池紳一「統一規格による一八五枚の城郭絵図集成」『図説 正保の城絵図』(新人物往来社 2001.05)
(※2)白峰旬「豊後臼杵藩旧蔵の城絵図群に関する一考察

(初稿:2018_02_15/2稿:2019.06.27)