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青木門跡

青木門跡
村上城 青木門跡写真

■DATA

残存物:-
残存度:-
藪化度:-

新町曲輪「標準仕様」の櫓門

現在は閑静な住宅地となっている新町、堀片、杉原一帯は、堀と土塁で囲郭された武家屋敷街「新町曲輪」の跡地である。往時、町の出入口には厳重な城門が設けられており、堀片地内の教員住宅わきに痕跡が残る青木門もそれらの門の一つであった。

明治元年に描かれた「村上城城門絵図」によると、門は枡形を備えた櫓門であり、その規模は「村上御城廓」により2間半×4間であったことが判明する。築造年代ははっきりしないが、1620年代の堀氏による築造と見て間違いないだろう。大阪の陣も終わり、総構えの築造を廃止する城下町が相次ぐ中、総構え部分にまで本格的な城門の建設を強行した堀氏の執念には恐れ入るばかりである。

もっとも、その作りを仔細に見ると、石垣を節約して土塁主体にしたり、枡形の一の門を省略するなど、主要部の門よりはやや簡略な作りが目立つ。また、規模や造作についても、秋葉門耕林寺門など、新町曲輪の他の門とウリ二つである。建物を規格化して、工期の短縮を図ったものであろう。

■明治元年の青木門

元和年間の築造にも関わらず、外郭に用いられた門としてはかなり厳重。。(「村上城城門絵図」平野邦広氏所蔵)

小路に枡形の面影を残すのみ

さて、肝心の遺構であるが、現在残るのは枡形の名残らしきクランク状(?)の小路のみである。まさに家の隙間にあるのでなかなか見つけ難く、門跡を示す標柱が建っているのがせめてもの救いである。明治期の破却が徹底していたらしく、1991年に行われた発掘調査でも門跡に関わる遺構は検出されていない。周辺の土地区画にもその痕跡は判然としないようだ。

ただし、門の遺構は失われてしまったものの、周辺の武家地の風情自体は色濃く残っている。屋敷の区画に使われていた杉生垣や、袋小路、クランク道路などはちょっと注意すれば簡単に見つけることができるし、街路自体も江戸期の町割りをほぼ踏襲している。特に、城山へ直線的に進めないよう、南北方向に抜けられる路地が極端に少ないことは、この地域の一大特徴と言えるだろう。

(初稿:2005.01.05/2稿:2017.07.23)

■付近に残るクランク道路

こういう名もない小路も城下町の景観を形作る大切な要素。今後も残って欲しいものです。