ビジュアル再現 村上城 ~3DCGでよみがえる村上城~ ロゴ
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屋根は何で葺かれたか?(1)

復元予想図の「茶色い」屋根

明治の破却によって、すべての建築物失われた村上城。かつての姿を示した「復元予想図」として最もよく知られているのは、「お城山とその周辺整備基本計画」(1993)、および「史跡村上城跡保存整備計画」(1998)をベースに作成された右のイラストであろう。登城道の入り口にある大きな看板、村上市教委の公式パンフレット、あるいは各種城関連の雑誌などの雑誌で目にした人も、きっと多いのではないだろうか。

筆者がこのイラストを初めて目にしたのは「ふるさとの日推進委員会」が村上市民向けに1992年に配布したチラシにおいてであった。まともな再現イラストのなかった当時、非常に鮮烈な印象を受けたことを覚えている。

だが、このイラストの初見時から、筆者はある疑問を持っていた。それは、なんで屋根が茶色なんだ―という、絵を見てそのまんまの疑問である。

城の屋根と言えば瓦葺が一般的である。もしイラストを描くとしたら、灰色ないしは紺色で描くのではないだろうか―。疑問をかかえつつも当時まだ中学生だった筆者。それ以上調べようともせずに、「まあ、再現イラストなんだから、そんなに厳密に考えていないんだろう」と、放置してしまった。

村上城復元イラスト

■村上市の復元イラスト

(ふるさとの日推進委員会『広告』より)

杮葺きを表現した?茶色の屋根

だが、この茶色い屋根。後日ちゃんと調べてみたところ、明確な根拠に基づいて描かれていることが判明した。イラストの根拠となった「お城山とその周辺整備基本計画」(1993)には、以下のような記述が登場する。

屋根葺材料について、城郭の瓦葺の建物が焼失した場合や、棄却し取り壊された場合でもいささかなりとも瓦の遺物が散在するが、この城の場合なんらの遺物が認められないことから判断して、瓦葺ではなく、丸岡城のように石製本瓦葺きでもなく、当城は燃え易い植物性材料で葺かれていたと見るのが妥当だろう
(村上市企画財務課『お城山とその周辺整備基本計画』45頁)

城郭の屋根が可燃性材料で葺かれる―。ちょっと意外な気もするが、実は、特に関東以北の寒冷地では、冬季の瓦の割れ対策として、杮葺や檜皮葺(※)の城郭も一定数存在した。近隣では米沢城や創建当初の新発田城がそうであったし、再建ではあるが信州松代城などに、具体的な姿を見ることができる。

文献資料ではほかに『村上市史』の記述が注目される。同書は江戸時代初期の堀直竒の城普請についてかなり詳しく解説しているが、各種資料収集の結果、屋根材については次のように結論付ける。

屋根普請については、瓦に関する記述が皆無であり、そのかわり檜皮奉行が存在したことから、檜皮葺か板葺と考えられる
(村上市 『村上市史 通史編2』52頁)

絵画資料においても、信頼性が高いと言われる「正保の城絵図」(1645年)が、屋根材を植物性材質らしき茶色の塗りつぶしで描いているし、それから70年程時代が下った宝暦期や享保期の絵図においても、屋根描写は檜皮葺き、もしくは杮葺きのようである。また、前掲の報告書が指摘するように、筆者が調べた限りでは、城跡に瓦の破片などは見られない。確かに屋根材を植物性材料とする見解には、かなりの説得力があるように思われるが……??

※杮葺(こけらぶき)

数ミリ程度に薄く割った板を竹釘で打ちつけて葺いた屋根。軽快な意匠の表現に優れ、現存建築では桂離宮などが有名。

※檜皮葺(ひわだぶき)

切りそろえた檜の皮を竹釘で打ちつけて葺いた屋根。格式の高い屋根工法で、現存建築では京都御所などが有名。

高島城

■松代城

城門、塀ともに杮葺で再現されている。

正保の城絵図の村上城

■正保の城絵図

屋根は植物性材料と思しき茶色の塗り潰しで描かれている。(国立公文書館蔵)

享保の城下絵図に描かれた村上城

■享保期の城下絵図

この絵図でも屋根は檜皮葺きor杮葺きっぽい描写。(新発田市立歴史図書館蔵)

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