平櫓跡
■DATA
残存物:石垣
残存度:★★★★
藪化度:★
残存物:石垣
残存度:★★★★
藪化度:★
本丸帯曲輪の南東隅に、急斜面にせり出すように築かれた櫓台が、かつての平櫓の跡である。
各種城絵図や、正徳年間の実測記録「村上御城廓」から、単層の櫓に小型の多聞櫓を接続した形式だったことが判明する。平面規模は2間4尺×2間1尺ほどしかなく、本丸の他の櫓と比べて2周りほど小さかった。搦手に位置することに加え、城下町からほとんど見えない位置にあることから、大型の櫓は必要とされなかったのであろう。
もっとも、急崖の上に半ば無理矢理せり出したような立地のため、櫓台の地盤はかなりもろそうだ。あえて単層の櫓とした背景には、地盤の支持強度に対する不安もあったのではあるまいか。
急斜面からかなり強引に立ち上げた櫓台であることがわかる。崩落防止フェンスが痛々しい。
遺構としては、櫓周囲の石垣と礎石の一部が残存する。石垣高は1.5~2m程度と決して高くはないが、無理な選地が災いしたのか、土圧による変形が著しい。崩落防止フェンスで急場はしのいでいるものの、抜本的な修復が望まれる。
一方、縄張り的な観点から見てみると、かなり横矢を意識したつくりであったことがうかがわれる。櫓台全体が塁線から突出している上、窓や挟間の数も、他の櫓に比べて多かったようだ。階数こそ1階建てであったが、周囲の塁壁に側射をかけるべく、相応の役割が期待されていたのであろう。
なお、櫓本体と多聞櫓の接続状況については、「正保の城絵図」(1640年代)では「L字型」に接続していたように描いている。だが、現地の遺構を見る限り、一直線につながっていたと見るのが妥当なようだ。ひょっとすると、寛文年間の松平氏による改修時に、形式が改められたのかもしれない。
(初稿:2006.07.14/最終更新:2017年07月23日)
L字型の一階建ての櫓として描写されている。(国立公文書館蔵)