玉櫓跡
■DATA
残存物:石垣
残存度:★★★
藪化度:★★
残存物:石垣
残存度:★★★
藪化度:★★
玉櫓は旧三ノ丸の北東隅を固めていた櫓である。正徳年間の実測記録「村上御城廓」により、およそ4間×3間ほどの重箱櫓に2間四方ほどの多聞櫓が付属する構造であったことが判明する。村上城には、これとほぼ等しい形状の櫓がいくつか存在するが、おそらく、図面を流用して工期の短縮を図ったものであろう。
遺構としては、櫓の基壇となった低い石垣が残る。1mにも満たない箇所も多く、一見すると防御力は低そうに見えるが、あながちそうとは言い切れまい。というのも、比較的自然地形に素直な村上城にあって、この周辺のみは、まるで稜保式城郭を思わせる複雑な塁線の屈曲が見られるからだ。往時は下図に示したように、至る所から横矢をかけられたはずである。
(初稿:2006.10.21/2稿:2017.07.23)
三ノ丸周辺の石垣は総じて低いが、塁線形状は丹念な横矢を狙って複雑である。
さて、「玉櫓」という名称から判断すると、おそらく平時のこの櫓は鉄砲玉の保管庫として使用されていたのであろう。付近にある靱櫓には靱(=矢を入れて背負う籠)が保管され、郭内には武具蔵が立ち並んでいたことを考え合わせれば、往時の三ノ丸は武器・弾薬の保管区画としての性格が強かったはずだ。
しかし、どうにも合点がいかないのが鉄砲倉や硝煙蔵との位置関係である(右図参照)。鉄砲を使うには、鉄砲の本体と鉄砲玉、そして硝煙が一緒になければ使い物にならないわけだが、どういうわけか村上城の場合、それらがバラバラの位置に散在しているのである。
安全管理の問題など、軍事上の都合以外に何らかの事情があったのだろうが、「いざ篭城」となった場合、即応できたのかどうかは大いに疑問である…。