田口中門跡
■DATA
残存物:石垣、土塁残欠?
残存度:★★
藪化度:★★★
残存物:石垣、土塁残欠?
残存度:★★
藪化度:★★★
坂中門から続く絡手の登城道をさらに下ると、道はやがて沢伝いをたどる谷底道になる。その途中にある20m四方ほどの方形区画が、かつての田口中門の跡である。
正徳元年(1711)年の実測記録「村上御城廓」により、3間4尺×2間2尺の櫓門に、ほぼ同規模の多聞がL字型に接続する構造だったことが判明している。1640年代に描かれた「正保の城絵図」段階で、ほぼ近しい構造の建物として描かれているので、江戸期を通じてほぼ同様の形態であったとみられる。搦め手にも関わらず、なぜか攻撃重視の外枡形構造なのがフシギなところだ。
だが、谷地形を塞ぐ構造が災いし、現在では遺構そのものが沢水をためるダムと化している。ちょっと雨が降れば枡形内はすっかりぬかるみと化すため、門の袖石垣は大部分が崩れ去り、パッと見には半壊した土塁のようにしか見えなくなってしまっている。人通りが少ないことから、石垣修復工事の優先度も低く見積もられており、この分では遺構の崩落はさらに進んでしまうだろう。
もちろん、門の機能を維持するために、江戸時代には何らかの排水設備が機能していたはずである。溝や暗渠の痕跡はないものかと探してみたが、残念ながら筆者の見た範囲ではそれらしき遺構はないようである。
(初稿:2004.05.08/2稿:2017.07.23/最終更新:2020年3月1日)
今や見る影もなくなったが、往時は立派な櫓門であった。(国立公文書館所蔵)