登城ルート修景案(1)
登城路の景観整備って必要ないんだっけ?
城下町の基本骨格を今に伝える村上市街。近年はその歴史的価値に対する評価も高まり、旧町人町を中心に、市民の手による自発的な修景努力が進められるようになった。
だが、そんな中にあって、ややもすれば忘れられがちなのが旧武家町の景観問題である。確かに同地域においても主として個人の手による修景努力が行われているが、路地や小路単位での「面的」な取り組みになると、残念ながら行われていないようだ。そのため、観光戦略上重要な意味を持つ、市街地中心部~城跡へのルートの景観整備は遅れ、旧町人地からの人の流れを阻害する要因の一つとなっている。これでは「町家も、武家屋敷も、城跡も残っている」という村上のアドバンテージを生かすことはできまい。
というわけで今回は、旧町人地から城山へ到る旧武家町の景観を、2DCGで修景してみたい。毎度同じくあくまで私的提案なのであしからず…。
(2004.12.31初稿)
現地の状況
今回取り上げたルートは、往時の二ノ丸・三ノ丸の中枢部にあたり、かつては道沿いに、武家屋敷の杉生垣や門・長屋が軒を連ねていた。だが、現在はブロック塀や新建材で覆われた建物が建ち並び、武家地らしい景観とはお世辞にも言えない状況である。全国的にも貴重な武家屋敷を10数棟も有しながら、それらの魅力を発揮し切れていない状況と言えよう。
また、本来武家地では、門や長屋以外の建物が道路に直接面して建つことはまれであるが、現在は車庫等の建物が道路際までせり出している箇所も多い。そのため、一部残っている生垣なども随所で寸断され、かつての武家屋敷地区の面影を失わせる一因となっている。
武家地としての景観は、数百m離れた羽黒口や新町のほうが、はるかに色濃く残っている状況だ。
修景の方向性
ルートの大半は、村上市が条例で定める「景観形成地区」(※)に含まれる。細かいルールは割愛するが、要は、建築物の新・改築に際し、市が「景観調和的」と認めたものに対しては補助金が支給される地域になっているのだ。
よって、今回の修景に際してはこの制度の活用を前提とした修景案を提案する。また、この制度は建物のみならず、生垣や板塀、門などについても適用されるので、随時そうした付属構造物についても修景に取り入れるものとする。
なお、修景後のイメージとして、ここでは伝統的建造物群保存地区の指定を受けている弘前市の武家地を念頭に置きたい。同地区の写真を右に示したが、村上と同じく、生垣を中心とした景観が形成されている。なお、比較のために、生垣が残る羽黒口付近の写真も上げておいたが、正直なところそれほどの見劣りは感じられない。設定したルートの景観がこのレベルまで到達すれば、伝統的建造物群保存地区と互角に勝負できる景観となろう(実際、村上の武家地は、伝統的建造物群保存地区に「なりかけた」過去がある)。