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二ツ曲り西城道?

二ツ曲り西城道?
村上城 二ツ曲り西城道?

■DATA

残存物:旧道残欠?
残存度:★
藪化度:★★★★★

「瀬波波郡絵図」に描かれた謎の城道跡?

現在、臥牛山西側斜面から山頂へ登る道は、「七曲り道」のみである。しかし、中世「本庄城」の姿を描いた『瀬波郡絵図』には、逆Z字型に山腹を登る未知の登城道が描かれており、近世の本丸付近にまで達しているような描写である。

現状の遺構には見出し難いこの道をどこに比定すべきか、長らく議論が戦わされてきているが、2002年の金子拓男氏の踏査により、臥牛山西側斜面の中腹に城道の痕跡地形「らしきもの」が確認されている。同氏の論文「村上城跡の遺構から見た村上要害」(※)中で「二ツ曲り西城道」として紹介された地形である。

冒頭の写真は道跡の屈曲部と思しき部分を下から見上げた状況である。確かに逆「くの字型」の城道痕跡らしきものが読み取れるように思う。

■瀬波郡絵図

点滅しているのが長らく謎とされていたルート。(米沢市上杉博物館蔵「越後国瀬波郡絵図」)

(※)

『新潟考古』2002年3月号。なお、金子論文をはじめとした「瀬波郡絵図」の解釈については、「中世本庄城の姿とは?」で詳しく扱っています。

道の全容解明は困難

仮に城道跡であるとしても、400年ほど放置されていたことになるため、登り口は判然としない。比較的明瞭な(?)痕跡が残るのは、二之町裏手の「御作事の地蔵様」から20mほど斜面を登った地点で、幅1mほどの細い城道の屈曲部らしき地形を確認できる。周囲は完全に藪化している上、ほとんど絶壁なので取り付くのは大変だが、斜面を下から見上げる(もしくは、ある程度登ってから下を見る)と比較的容易に場所を特定することができる。

同様に、道跡がどこまで続いているのかについても判然としない。侵食が進んでいることに加え、近世期の城普請の残土によって、地形の埋没が進んでいるためである。近世村上城の築城に際しては、少なくとも2度(元和/寛文)にわたって大規模な地山の削平が行われたことが確実であり、実際、出櫓下~本丸にかけての標高100m付近の斜面は、現在でも笹すら生えないガレ場のような土質となっている。歩こうにもザクザクと脚が埋まってしまうような状況でり、礫質の堆積はかなり分厚そうである。

現地にたどりつくためには、私有地を通過しなければならない。家主の方に一言挨拶するなど、いらぬ誤解を招かぬように十分留意していただきたい。

■上から見た状況

幅1mほどの細い城道跡っぽい地形を確認できる。

追記:公的文書での当遺構(?)の扱いについて

2019年現在、このルートの存在は、村上市が発行する公的な資料には記載されておらず、パンフレットや現地案内版にも未記載である(※1)。とはいえ、金子氏は村上城跡保存整備計画の委員にも名を連ねていた方で、02年の踏査には村上市教育委員会も協力している。全くスルーしているわけではない…というのが行政サイドの立場である(筆者が2006年に村上市に問い合わせたところでは、金子氏の踏査結果は「今後の村上城跡保存整備計画の推進に活用していく」とのことであった)。今後、発掘調査等で「遺構」であることが確実になれば、公的資料にもきちんと記載されることとなろう。

なお、当サイトとしては、「道路痕跡らしき地形は確かに存在するが、これを直ちに『城道』と見做すかどうかは判断しかねる」との見解をとりたい。周知のように、臥牛山は常に人の手が入ってきた山である。明治以降の造林を待つまでもなく、江戸時代を通じて、町民を動員した「城山御根草刈り」や、御殿の庭木や武家屋敷の材木の切り出しが行われており(※2)、「踏み跡」とも「城道跡」ともつかない微地形は城山全体に広く見られる。さらに、「二ツ曲り西城道」の登り口付近には、江戸時代を通じて藩の作事小屋が置かれていたことを指摘しておきたい(右図)。作事場を起点とする山仕事用の作業道が「城道」とは明記されずに存在していたとしても不自然ではあるまい。

ともあれ、仮にこのルートの実在が発掘等で裏付けられた場合、中世「本庄城」の縄張りの解明が大きく前進するのは確かである。発掘計画が立てられるのか否か。今後の推移に注目したい。

(初稿:2006.03.10/2稿:2005.11.14/3稿:2017.07.23/最終更新:2019年06月24日)

(※1)

村上市「村上城縄張り図」(2019.04)

(※2)

「村上町年行事所日記」を参照のこと。

 

■享保7年間部家絵図

当遺構の起点となる位置に「御作事」が位置していることがわかる。…良く見ると、なんか「コの字」型の石室状(?)の施設も斜面に描かれているな…。(新発田市立歴史図書館蔵)