山麓の一文字門跡から通称「七曲り道」と呼ばれる山道を登ること約10分。登城者がはじめに目にする山上部の遺構が四ツ門である。
この門は、山頂部が最もくびれた部分に位置しており、一つの門で4方向の通路を扼す特殊な構造となっている。門本体からは西側塁線沿いに南北2つの多聞櫓台が接続し、斜面を登ってくる敵に睨みを利かせている。特に、七曲の頭上に位置する南側の多聞の南端には二重櫓が上げられていたことが絵図から判明しており、山上城郭の玄関口にふさわしい威容を誇っていた。七曲り道を登ってくる敵に対し、側面射撃を意図したことは明確である。
遺構としては、門礎石の一部と南北多聞櫓の石垣が残っている。しかし、石垣が残存しているのは、「七曲り道」に面した城外側のみであり、城内側に向いた石垣はほとんど崩落し、藪に埋もれている。
一つの門で4方向を一気に封鎖。両袖に多聞櫓を接続した特異な形式が活写されている。[国立公文書館所蔵]
さて、四ツ門の石垣は、高さが最高所でも2メートル程度と、城門の石垣としてはかなり低い。そのまま櫓を上げては人が通ることもままならないので、門本体は左右の多聞櫓とは独立した、単独の二重櫓として建造されたことが推定される。詳しくは「復元村上城」のコーナーを参照されたし!
(初稿:2003.11.21/2稿:2017.07.23)
この石垣の上に、かつては二重櫓が上げられていた。崩落防止の土止めが痛々しい。遠望されるのは御鐘門跡。
七曲り道に面した南多門の石垣がなんとか旧状をとどめているのに対し、南多門の特に郭内側は崩落が激しい。
城の裏側に下る道筋沿いも石垣の崩落が激しい。鏡石らしき石材が残るところを見ると、往時はそれなりに気を遣って築いたのだろうが。