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村上城は重箱の城?(2)

重箱櫓のワケ?

村上城があえて見栄えの悪い重箱櫓ばかりを建て並べたのには、それなりの理由があったはずだ。筆者としては、おそらく以下の2点から、村上城は重箱櫓をあえて選んだものと推察する。

1)建物を大きく見せる
まず一つは、権力の誇示装置としての機能である。山麓の城下町と100m以上の比高差がある村上城では、城下町から城を眺めても個々の建物はほとんど豆粒のようにしか見えない。この状況で2階が小さな通常形式の櫓を建てては、益々建物が貧弱に見えてしまう。

1、2階を同大に作る重箱櫓はこの点メリットが大きい。城下から見て目立つ上重を大きくすれば、建坪はそのままで、見た目だけを大きくできる。また、曲輪の面積が制限される山城の場合、櫓の一階平面が小さいほうが、曲輪の有効面積を減らさずに済む。この点からも重箱櫓を選択するメリットはあったはずだ。

2)射界の確保
2つ目は実戦上の理由である。村上城のような山城の場合、櫓が建つ塁線の周囲は傾斜地である。そのため、塁線に近づく敵を効果的に阻止するには、広い下方射界の確保が不可欠となる。特に攻防の要となる櫓の射界は、十分に確保しなければならないだろう。

こうした条件に照らしたとき、二階の壁面を塁線際まで持ち出せる重箱櫓はその真価を発揮する。通常の櫓では、二階から櫓の足元を射撃しようとしても、一階の屋根が邪魔して思うに任せないが、2階の壁面がせり出した重箱櫓ならば、一階の屋根面による死角が減少する(右図参照)。構造上、塁線際の攻防を余儀なくされる山城には、下方射界の確保できる重箱櫓が合理的だったと思われる。

正保の城絵図に描かれた三重櫓

■重箱櫓の視覚効果

乾櫓の上重が一回り小さかった場合と見比べてみた。当たりか前だが、上重が大きいほうが存在感が増す

重箱櫓の下方射界

■重箱櫓の下方射界

一階軒先ギリギリまで壁面を持ち出せる重箱櫓のほうが、下方射界を広くとることができる。

真相は…わからん

さて、色々と理屈をこねてみたが、村上城の櫓がなぜ重箱櫓だったのかについては決定的な資料は存在しない。だが、「見栄えの向上」「下方射界の確保」という2つの条件は、村上城以外の山城においても当てはまるのではあるまいか?

そこで、村上城と同様に近世まで存続した代表的な山城(岩村城、高取城、淡路洲本城、備中松山城、津和野城、岡城)について調べてみたのだが、津和野城に外観1重、内部二重の櫓があった以外は、特別に重箱櫓にこだわった様子はどの城にも見られなかった。

というわけで、山城以外にも手を広げて辛うじて見つけたのが豊後臼杵城である。同城の櫓はそのほとんどが4間×3間(村上城の多くの櫓と同大)の重箱櫓であったらしいが、その立地は海に突き出した独立丘(比高17m)上であり、曲輪の周囲は海に落ち込む急崖である。実際、現地に行ってみたが、比高差の違い、斜面傾斜の差に目をつぶれば、個々の櫓の戦術条件は村上城によく似ている…気がする。

重箱櫓と地形の関係、斜面傾斜と射界の問題…色々気になる課題はあるのだが、いかんせん情報量が足りない。とりあえず今回はここで筆を置くとして、後日この課題については再度考究したい。(…っていうか重箱櫓づくしの城の情報求みます……弱気)

(初稿:2004.11.19/2稿:2017.07.23/最終更新:2018年02月18日)

豊後臼杵城

■豊後臼杵城

『正保の城絵図』より。海に落ち込む断崖に沿って、重箱櫓が立ち並んでいる。比高差は異なるが、櫓の立地条件は村上城に似ていなくもない??(国立公文書館所蔵)

豊後臼杵城 畳櫓

■豊後臼杵城「畳櫓」

現存する重箱櫓のひとつ「畳櫓」。4間×3間というサイズは、村上城の多くの櫓と同大である。

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