戦国時代
「本庄城」の成立
村上市街地の東端に位置する臥牛山(標高135メートル)上にはじめて城が築かれたのがいつ頃なのか、正確な年代は特定されていない。一説によれば鎌倉時代にまでさかのぼると言われているが、当時の築城形態を考えるとにわかには認めがたい。文書上に登場する時期から考えると、戦国時代の動乱が本格化する1500年代初頭に築城されたと見るのが妥当であろう。
さて、この時代の村上城は「本庄城」と呼ばれており鎌倉時代からこの地方を領有してきた本庄氏の本拠地であった。本庄氏は代々武門の家柄で、特に戦国時代末期に登場した本庄繁長(ほんじょう・しげなが)は猛将として知られている。「越後の龍」こと上杉謙信に従った繁長は、川中島の戦いなどでも武勲を挙げており、上杉家中でも上位の席次を与えられる実力者であった。
しかし、独立領主としてのプライドが高かったのか、繁長は上杉家の軍門に100%下ったわけではなかったらしい。上杉家とは対抗関係にあった芦名氏や伊達氏とも関係を深めており、1568(永禄11)年にはついに、甲斐の武田信玄と内通して、上杉家に謀反を起こすのである。