未来?
バブル期に立てられた再建計画
明治の破却より約120年余を経た平成4年、国の重要文化財指定を機に「復元」を最終目標に掲げた城跡の整備計画が村上市によって立てられた。その名は「お城山とその周辺整備基本計画」。かの竹下内閣で打ち出された「ふるさと創生一億円」を元手に、村上城を復元しようというわけである。しかも、本計画では天守のみではなく、山頂主要部のほとんどの建物を再建することが掲げられた。いわば「平成の築城事業」とも呼ぶべき大事業が立案されたのである。(※)
もっとも、1億円ばかしでは城の再建はおぼつかない。総予算は当時の村上市の年間予算に匹敵する70億円と見積もられた。右に示した復元図が、この計画の最終形として提示された「復元完成予想図」である。
■村上城復元完成予想図
今のところ最もオフィシャルな村上城の復元イラスト。臥牛山登山口に巨大な看板が立つ。
※
公的なプランとは別に、民間主導の再建計画も高度成長期にはあったようだ。1972(昭和47)年には、地域の企業家から、コンクリート製の天守閣、出櫓、巽櫓、乾櫓の復元、資料館、休憩所の建設、山上と山麓を結ぶロープウェイ建設などの開発プランが提案されたが、城跡の地権者である村上城跡保存育英会はこれを拒否している。